ダイシングループがどのような歴史を経て現在の姿になったのか、知らない方も多いのではないでしょうか。「ダイシン物語」は、創業から現在までの様々なできごとを社長に振り返ってもらうコーナーです。人に歴史あり、企業にも歴史あり。
おはなし/社長 大塚真弘
インタビュアー/ニコ&マル(広報担当)
1台の軽トラックから始まった会社
ニコ 今回はダイシングループの創業期である2008年から2010年までのお話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。
社長 はい、お願いします。
マル 2008年に株式会社大真を設立されましたが、なぜ起業しようと思われたんですか?
社長 全部自分でやったほうが楽だと思ったからです。自分で時間を決められるし。
ニコ 資金はどうやって集めたんですか?
社長 汗水垂らしてがんばって働きました!
ニコ さすがです。高校を卒業してすぐに起業したんですか?
社長 高校を卒業して2年ほど働いたあと、21歳で起業しました。
ニコ そうだったんですね、21歳って、今の私たちより若いときに起業してるのはすごいです!
マル 当時のメンバー構成を教えてください。
社長 2人で、軽トラック1台から始めました。当時一緒に働いていた人は今いないけど、いちばん古い関係で言うと、近藤さん(株式会社大真)です。近藤さんは中学校からの知り合いです。
マル 中学生の頃から仲が良かったんですか?
社長 そうですね。前田さん(株式会社大真)も高校から一緒です。そのメンバーはずっと一緒です。もう、20年以上。
マル かなり長いですね! 当時は何をする会社でしたか?
社長 運送業からスタートしました。場所は岡山市中区の湊。現在、自社のコインランドリー『白真白舎』円山店がある手前の湊という交差点。そこのビルの3階にオフィスがありました。かなり眺めが良かったです。
マル 中区にあったんですね。どのようなオフィスでしたか?
社長 それなりに綺麗にしていたつもりです。景色が良くて、15畳ぐらいの広さですかね。当時は、仕事ごっこみたいな感じでした。自分に酔っていて、自分自身のことしか考えられてなかったです(笑)
マル そうだったんですね。もし覚えていれば当時のビジョンを教えてください。
社長 自分が良くなればいい、お金持ちになりたい、同世代に負けたくない、って感じでした。
マル 衝撃です(笑)。この頃の自分に対して言いたいことはありますか?
社長 やばいよ、大丈夫か? と言いたいです。物事が自分中心に回っていると思っていましたから。ただ、その中で今も変わってない部分があって。この人生は自分が主人公。だから、失敗しないだろうなという根拠のない自信があります。
ニコ 根拠のない自信、なんとなくわかる気がします。
マル 起業から1年はどのように生活していましたか?
社長 ほぼ家にいませんでした。 一生懸命って言っても自分のことしか考えていない、どう儲けようかとしか考えていませんでした。
ある日、社員が全員いなくなった
マル 2009年に資本金を500万円に増資していますが、何か理由があったんですか?
社長 トラック事業(一般貨物自動車運送事業)の申請をするためにトラックが5台必要だったのと、それを運営するのにお金がかかるので。
マル なるほど。軽トラックによる軽貨物運送事業から、トラックによるトラック事業(一般貨物自動車運送事業)へ進化したわけですね。トラック事業は元々やりたかったことですか?
社長 そういうわけではないです。知り合いの車屋さんにトラックがあるからやってみないかと言われて、たまたま知り合いでトラックに乗りたい人がいたから始めたという感じです。
ニコ 当時のできごとで何か印象に残っていることはありますか?
社長 トラック事業を始めて社員が5、6人に増えたんですが、彼らが元請の会社に引き抜かれて、突然いなくなったんです。ちょうど僕の結婚式が間近で、社員たちも招待していたんですが、全員来なくなったということがありました。
ニコ・マル ひゃーーー! そんなことあるんですね(泣)。衝撃的すぎます!
マル さて、2010年には神奈川支社を設立してトラック事業を始めています。同時に神奈川県をメインに仕事をするようになったんですよね。なぜ神奈川に移ったのですか?
社長 たまたま紹介してもらった人に神奈川県での事業を勧められたからです。岡山県と神奈川県はパイ(市場規模)が違います。あちらのほうが儲けが大きい。このときは目の前の仕事をして、自分よがりな考えしか持っていなかったですね。
マル 神奈川では、具体的にはどんな事業をしていたんですか?
社長 ヨドバシカメラの配送業務です。当時、住宅エコポイントの影響で家電がかなり売れる時代でした。家を一軒建てると家電に使える30万円分のポイントが貰えていたんです。だから家電が売れていて。当時、ヨドバシカメラ横浜店は全国でもかなり売上が良かったんです。
マル そうだったんですね。
マル 当時はどのような生活でしたか?
社長 横浜のアパートに社員たちと4人で暮らしていました。ほぼワンルームに近い部屋で。今ではもう考えられないですね。
ニコ え! 共同生活してたんですね! 想像が付きません(笑)。このときは、社員は全員で何人くらいだったんですか?
社長 10人近くいました。神奈川に移動するときに社員が増えて、近藤さんや前田さんも神奈川に来ました。
マル 事業は順調でしたか?
社長 かなり儲かりました。トラック1台あたりの売上が月に約300万円。経費と給料を引いて残る利益が約200万円。5台で1000万円になってました。こんな楽な仕事はないって思いました(笑)。それで、岡山から人を呼ぶようになって。
ニコ すごい!
社長 だけど、このような生活は1年ちょっとで崩壊しました。
ニコ 何があったんですか?
社長 自分の会社管理の甘さによって従業員がかなりの不祥事を起こしまして。損害賠償をして神奈川から撤退しました。
ニコ・マル えーーーーーー!! びっくり……悲しすぎます。
社長 夢を見させてもらったと同時に、足元を固めないといけないと思いました。
マル そこで諦めないところがすごいです!
ニコ その後、岡山での事業を本格化させることになるんですね。以降のお話については次号で伺いたいと思います。
今回は、2008年から2010年までのダイシン物語でした。始めの2年間だけで衝撃的な出来事が多くありましたね。次回は、2011年から2014年までの歴史についてインタビューしたいと思います。お楽しみに!
【年表】
2005年 大塚真弘、高校を卒業。
2008年10月15日 岡山市にて株式会社大真を創業、運送業を始める。
2009年 トラック事業(一般貨物自動車運送業)を始める。
2010年 神奈川支社を設立。同エリアでトラック事業を始める。